新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史2 ~渡来人が暮らしていた⁉上辛立遺跡~

今から1600年前の古墳時代中期、朝鮮半島から多くの人々が海を渡って日本にやってきた。彼らを渡来人(とらいじん)と呼ぶ。

平成30年(2018)、長尾中学校から1㎞南西で認定こども園長尾学舎の建設に伴い上辛立遺跡(かみからたちいせき)が発掘調査され、古墳時代中期の竪穴住居跡が発見された。

竪穴住居跡

竪穴住居跡は方形の平面形で東西の長さは5.4m。深さは後世の削平のため、わずか10㎝程度しか残っていなかったが、当時の生活がわかる様々な情報が堆積した土の下にパックされていた。

竪穴住居跡の北辺中央には竈(かまど)があり、竈の中には煮炊きする土器を置く支脚(しきゃく)と呼ばれる石がそのまま残されていた。そして竈近くの竪穴住居跡の床上に複数の土器が転がっていた。煮炊き用の甕(かめ)、貯蔵用の壺、盛付用の高杯など当時の食生活を眼前に見ることができた。その中で須恵器(すえき)と甑(こしき)に注目したい。

竪穴住居跡から出土した土器

須恵器はねずみ色をした器で渡来人が伝えた技術によって製作されたと考えられている。甑は底にたくさんの穴がある土器で、食物を蒸す道具である。これも渡来人が伝えたと考えられている。竪穴住居跡からは甑が2点出土した。1点は甑専用に最初から作ったもの、もう1点は甕の底に後から穴をあけて甑にしたものである。後者は香川県内では初の発見、全国でも数点しかなく大変珍しい。最初は甑が手に入らなくて、手探りで作ったものだったのだろうか。想像は膨らむが断定できる答えにはたどり着いていない。

甕を改変した甑の底の穴

さて渡来人との関わりについて。今回、竪穴住居から出土した須恵器・甑は形から見ると、朝鮮半島で出土する土器そのものではなく、少し時間がたって日本化されたものといえる。ただ上辛立遺跡の周辺では過去には「渡来人の土器」といえる、朝鮮半島の土器に類似した土器が複数箇所で発見されている。今回の発見からは、辛立周辺に住み着いた渡来人が数世代に渡り生活し、地元の生活に溶け込んでいった様子がおぼろげながら見えてきた。

お問い合わせ先

大川広域行政組合事務局埋蔵文化財係
電話:0879-42-1588