新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史22 ~東海産の壺で地鎮祭 さぬき市寒川町石田東横内遺跡~

前号の続きでさぬき市分庁舎建設の前に発掘調査を行ったさぬき市石田東の横内遺跡の話です。横内遺跡では平安時代中期の倉庫群の跡が発見されたことをお話しました。この倉庫を建てる前、地盤は悪かったようで、地盤の下からは北東に流れていた流路跡が何本も発見されました。水の流れていたような脆弱な場に倉庫群を建てるために、当時の人々は土を入れて整地するという行為を行なっていました。今回紹介するのは整地する前に小さな穴を掘って壺を埋納するという行為を行っていたという話です。この行為はおそらく建物を建てる前に土地の神様を鎮めるというもので、今でいう地鎮祭の痕跡ではないかと考えています。

横内遺跡の出土品(写真1)
横内遺跡の出土品(写真2)
横内遺跡の出土品(写真3)
横内遺跡の出土品(写真4)

この壺を埋めた跡は発掘調査内で4基確認されました。壺は倉庫と倉庫の間に点在して埋納されており、3基は須恵器(すえき)という焼物の壺が使用されていました。土師器のお皿を一緒に埋納したもの(写真1)や石で壺の口の部分に蓋をしたもの(写真2)などがありましたが、残念ながら壺の中から埋納物は発見されませんでした。そして1基は須恵器ではなく、東海地方で製作された灰釉陶器(かいゆうとうき)と呼ばれる壺が埋納されていました(写真3・4)。意図的に灰釉陶器を埋納物として選択したのか偶然使用した壺が灰釉陶器だったのかは分かりませんが、地元の須恵器に比べると灰釉陶器の出土数は少なく、東海地域から流通してきた貴重な壺が使用されたと考えられます。ちなみにさぬき市では大川町南川で火葬墓の骨壺に使用された灰釉陶器が発見されています(新発見 東かがわ市さぬき市の歴史20で解説)。年代は南川の骨壺の方がやや古い可能性はありますが、おおよそ平安時代前期から中期にかけて灰釉陶器の壺が東海地域から流通し、骨壺や地鎮という宗教的行為に使用されていたことがわかります。

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